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3ヶ月の福島プチ移住。暮らしを変える“刺激”が、人生と仕事のウェルビーイングに変化をもたらした

スカイベイビーズでは「自然体で、生きる。」という理念に基づいて、自分らしい働き方だけでなく、自分らしい暮らし方も推奨しています。二拠点生活や地方移住に興味がある従業員の背中を押すのも、そのひとつ。コミュニティマネージャーを務める佐藤純平さんは、2023年末に福島県への短期移住を経験しました。どのような経緯でその機会に出会い、どんな経験をしたのか。そして、その経験がもたらした自身の変化について聞きました。

Junpei Sato

コミュニティマネージャー・ライター。大手予備校での進路指導、農業見習い、フリーランスの営業マンを経て、2019年よりWebライター&ディレクターとして独立。2023年よりカイベイビーズに参加。自分らしい働き方、生き方を探求できるコミュニティを作ることを目指し、活動中。

「いまの会社のまま、福島県でリモートワーク」というプチ移住プログラム

――福島県への3ヶ月移住を経験したという佐藤さん。もともと、移住に興味があったんですか?

佐藤

ありました。18歳で地元の山梨を出てから和歌山や兵庫を経て、最近はしばらく大阪に暮らしていたのですが、もともと旅や引っ越しが大好き。これまで4、5回あった転職のタイミングでは、だいたい住む場所も変えていました。いつも人の紹介で転職していたから、誰かに出会って仕事を変え、住む土地を変えるとまた新しい出会いがあり……というルーティンがあったような気もします。ただ、ここ5、6年はずっと同じ場所に住んでいて。遠距離恋愛をしていた彼女と別れたこともあり、[ss1] そろそろ違う場所を求めるサイクルが来ていたんだと思います。

――どうして移住先に福島県を選んだのでしょうか。

佐藤

超ざっくり言うと、偶然が重なっただけなんです。僕は毎日noteで日記を投稿しているのですが、そこに「移住してみたい」と書いたときに、知人が「いまの会社でリモートワークをしながら、福島にプチ移住できるプログラムがあるよ」と教えてくれて、、話が進んでいきました。

――とんとん拍子に進むのはご縁ですね。福島の第一印象は?

佐藤

2012年に自転車で日本を旅したとき、一度訪れたことがあったんです。当時はまだ震災間もないころだったから、被害が色濃く残っていて……現状がどうなっているのか見てみたい、と純粋に思いました。

――それから、どのように話が進んでいったのでしょうか。

佐藤

まずはプログラムを主催していた企業の担当者の方や福島県庁の方、僕、そしてスカイベイビーズ代表の安井さんとでオンラインミーティングをやりました。条件をすり合わせ、スカイベイビーズにも確認してもらったんです。

たとえば、どこに住むか? 福島県全域に対応しているプログラムだったので、お米のオンラインストア「ソラミドごはん」を運営しているスカイベイビーズからは、農家さんとのつながりがつくれそうな内陸部を推す声もありました。でも、僕個人としては震災の影響が濃い土地を見たい想いが強くて……安井さんはすぐに「もちろん純平さんが一番楽しめるところに」と僕の意志を汲んでくれて、浜通りの北部に位置する浪江町を選びました。

期間の指定は「最長3月末くらいまでで2~3ヶ月ならご自由に」と、ざっくり。最終的には11月末から3月頭まで移住しました。あとは車がないと生活できないから、車を貸し出す手配をしてくれたり、住まいを整えてくれたり……家賃負担がなかったため、大阪の住居はそのまま残しました。おかげで、本当に身軽な感じで行けたのがとてもよかったです。話が出てから1ヶ月後には、もう浪江町に住んでいました。

パワフルでフッ軽。イベントだらけの濃密な現地コミュニティ

――浪江町では、どのように暮らしていましたか? 場所を変えてのリモートワークにも、支障はなかったのでしょうか。

佐藤

仕事はまったく問題なかったですね。スカイベイビーズの業務も、兼業でしているライターの仕事も、大阪に住んでいるときとまったく変わらず続けられました。移住中にお借りしていたのは、コンパクトな平屋の一軒家です。家でゆったりと働くことも多かったですし、車でちょっと走れば無料のコワーキングスペースやおしゃれなカフェもあって、仕事をする場所には困りませんでした。

しいて言うなら、急に楽しそうなお誘いを受けることが結構多かったため、もっとタスクに余裕を持った状態で移住できたらよかったなと思いました。仕事に追われていたら、せっかくその土地にいるのに何も楽しめないですもんね。ちょっとだけでも働くペースを落として、偶然の出会いを存分に楽しめる状態をつくっておくといいと思います。もちろん、せっかくだからフットワーク軽くいくようにしていたけれど、そういう心積もりがあればもっともっと楽しめたかなと……。

――とくに印象的だった出来事を聞きたいです!

佐藤

とにかく印象的だったのは、町の人たちとの交流の多さです。移住したてのときに、プログラムを主催していた企業の担当者さんが地域おこし協力隊や東京からの移住者さんたちとつなげてくれて、その輪がどんどん広がっていきました。浪江町の特徴は、とにかくイベントがたくさん開催されていること。読書会やZINE会などのちょっとした面白い集まりから、何百人と集まるような大きなイベントもあって、その情報が町のオープンチャットに流れてくるんです。元日に開催された「あるけあるけ初日詣大会」というイベントに参加して、200人ぐらいの人たちといっしょに、海まで初日の出を見に歩いたことはいい思い出ですね。

それに浪江町の人たちって、めちゃくちゃパワフルなんですよ。もともと2万人ほどだった町の人口が震災の影響で2000人くらいに減ってしまったんですが、約3割は移住者。そうした地域に住もうと考える方々だからなのか、とても前向きで、町に熱い想いを持った人が多くいました。「面白そうなことは、小さくてもどんどんやってみましょう!」という勢いがあるし、人がちゃんと集まるし、みんながすごく楽しんでいるんです。

――コミュニティの濃密さや人間観関係の熱さが伝わってきます。いろんな知り合いや経験ができて、移住者にとってもすごく楽しそうです。

佐藤

お正月に駅まで歩いていたら、途中の広場で餅つき大会をやっていて、食べきれないくらいのお餅をお皿に乗せてもらったこともありました。すごくおいしかったんだけど、もう行かないと電車の時間がやばい! と焦っていたら「駅まで車で送ってあげるから、ギリギリまで食べていきな!」って(笑)。そうやってすぐ仲間に入れてくれる雰囲気がありがたいですよね。家やお店、駅なんかとの物理的な距離は都会よりもずっと遠いけれど、人と人との精神的な距離がとても近いように感じました。

――「震災の影響をきちんと見てみたい」という目的も、達成されましたか?

佐藤

地域おこし協力隊の方の案内を受けて、震災遺構と呼ばれるさまざまな場所を見学できました。津波の被害を受けた小学校の跡地や、亡くなった方々が眠る新しい霊園、資料館や伝承館……実体験を伝えている語り部さんのお話も伺いましたね。浪江町は2017年3月に避難指示が一部解除されましたが、やはりまだまだ入れない場所もたくさんあるんです。ぼくがお話を聞いた語り部さんは自宅にはまだ帰れていない、とおっしゃっていました。

また、福島の伝統工芸品・大堀相馬焼の窯元で期間限定の展示が行われていて、お邪魔させていただいたこともありました。13年前の当時のまま保存されている窯元を歩いていると、たくさん積もっている埃が目に止まって……長い年月が経っているはずなのに、地震が起きたときから時間が止まっている。大阪に住んでいると生の情報にふれることがないけれど、やっぱり震災のことは風化させてはいけないと再認識しました。これは現地に行ったからこそ感じられたことで、移住体験のおかげだなと思います。

暮らしを変えることで、価値観が動き、ウェルビーイングにつながっていく

――新しい環境に身を置いて、何か仕事に活きる学びはありましたか?

佐藤

パワフルな人とのつながりにたくさんふれて、コミュニティとかイベントってもっと気軽にやってもいいのかもしれないと思えました。いま、僕はスカイベイビーズが主宰するコミュニティ「スカイフレンズ」の運営を担当しているのですが、中の空気が若干堅苦しいというか……。主体的に動き出す空気も少ないし、コミュニティ内の情報共有もあまり活発にできていないんです。僕自身が率先してもっといい雰囲気をつくれていたら、面白いと思ったことをみんなが気軽に試せるような空気ができるんじゃないかなと思いました。

浪江町のイベントでは「人数が集まらなくてもやっちゃいます!」みたいな会も結構あって……僕らも周りの反応ややりたいことの完成度みたいなものを気にせず「ノリと勢いでやっちゃう!」みたいなことができたら、コミュニティをもっと盛り上げられる気がします。

――暮らしを変えることでの学び、とても身体的でいいですね。そのほか、佐藤さんご自身にも変化はありましたか。

佐藤

お金に対する価値観が変わりました。移住生活では、なるべく現地にお金を落とすことを意識していたんですね。浪江町でお金を遣うことは、町を応援すること。そんな行為を積み重ねるうちに、これまで抱いていた「お金を遣う=お金が減る」というイメージが「お金を遣う=何かを応援する、自分にとってもプラスになることをする」というポジティブな意識に変わったんです。作り手の顔が見えるもの、つくられた背景がわかるものを応援したいから、買う。それは、自分にとっても気持ちがいいことである……。そういう考え方って、すごく自然体だなと感じました。

そういえば僕は昔から、顔が見える人と仕事がしたいと思ってきました。単価や効率のいい仕事も大切ではあるんだけれど、なるべくその先にいる人たちが幸せになる仕事がしたいし、相手のプラスになったらいいなと思える人といっしょに働きたい。その感覚は、福島に移住してより強まったと思います。「この人の力になりたい」と思う人と働いたり、そういう人のつくったものや場所にお金を払ったりする機会を増やして、それをまた自分の幸せにつなげていけたらベストです。

――プチ移住は、自分の働き方や生き方を見つめ直すきっかけにもなったんですね。ウェルビーイングについてより考える、というか。いろんな人がもっと気軽に、日常の仕事や暮らしも保ちながら、気になる土地を行き来できる仕組みがあったらいいのかもしれません。

佐藤

そうですね。フルリモートやフルフレックスなど、時間と場所を選ばずに働ける制度があるだけでも、その自由度が上がると思います。今回は福島県と県外の企業をつなぐプログラムを利用したので、僕と同時期の移住者には有名なIT企業の方々もいたし、社内のある部署の拠点を福島に置いてみる……といったケースもありました。そういう場合は人事マターで話を進めておき、「福島でリモートワークしてみたい人はいませんか?」と社内で公募するパターンもあるみたいです。

日常とまったく違うところに行くと、与えられる刺激ががらりと変わる。そういう経験は、そのあとの生き方や働き方にもきっと面白い変化を、ウェルビーイングを高めるきっかけになってくれると思います。

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